村のこと



 前号の「いまさらながらの自己紹介」(土屋)に、Mさんから感想の手紙をい
ただき、もう2ヶ月がたってしまいます。未だ返信を書き切れていない私は、何
か整理されたものを書きたいと思いながら、『別姓通信』47号を発行する事態に
なってしまったことに困惑しています。課題は、
都市と村との差異とは何か
私は、あるべき世の中像をどう抱いているか
なのです。私の中では、何が課題かは、分かっているのです。けれども、前号の
文章で「風通しのいい村」をイメージし、表現していた私ではあるものの、その
あいまい性・危険性を指摘され、勉強不足を痛感しているのです。
 9月に色麻町で民俗研究者の結城登美雄さんの話を聞きました、お金がいらな
い世の中をイメージできる自由を、そんな世界をイメージできない貧困を思いま
した。学生時代に古本屋でみつけた羽仁五郎を引っぱり出しました。「現代」と
いう規定の仕方に、いつからいつまでが「現代」なの?なんて今更ながらに、け
れどもかつては思わなかったことを思いました。民族文化映像研究所の姫田忠義
の本を買いました。去年の夏に訪れた奈良田(山梨)の映画について読みなが
ら、「民衆」という視点と「家・村」という視点とのジレンマを再認識しまし
た。
 私の「家」制度に抗する思いは、たぶん理論ではないんです。感情です。そし
てまた、市民よりも村人という、非合理であってもデータだけに留まらない味や
温度をいとおしく思う気持ちも、頭ではなく、私のどこかが反応もしくは発信し
ているものなのです。
自由は、都市にあるのだろうか。
自由は、村にあるのだろうか。
 しばらくの間「権力」についてばかり考えていた私は、地に足が付いていない
のかもしれません。小さな町の児童数99人の学校に勤めながら、たとえば今日、
来年度の地区民合同運動会のことを夕陽をあびる図書室で話し合いながら、ユー
トピアではないけれど、あんばいのいい場所を、見つけ・・・いや、見つけるこ
とはできない・・・作る、作るための一助を、模索したいと思っています。
 Mさん、もう少し待っていてください。
 『別姓通信』への感想・意見・質問をお待ちしています。         
  (土屋)


活動リストに戻る

メニューに戻る

別姓通信47号